叫び転がりたい

春コミ忙しい。
仕事したくなくなってきた。。
うちに帰れるだけマシなの?この給料でも徹夜とかしなきゃいけないの。わかんない。
 
うちに帰ったら飼い猫が死んでいたらどうしようとか
母のことを考えるとどうしていいのか分からなくなって実家に帰りたいけど土曜日出勤だから帰れなくてじりじりしたりとか
胸のカユみが気になって乳がん検診しにいこうと思いながら時間がないとか
昔の自分を思い出して無性に謝罪したくなったりとか
 
私が作っていたジグソーパズルに糊を塗って固めていたところ、少し浮き上がったところがあったからおばあちゃんが重しをのせてくれていたことがあった。
でもまだ糊は乾いていなくて、重しを乗せていた部分の絵は重しを取る時一緒にはがれてしまった。それに対して私は相当おばあちゃんを責めた記憶がある。
し、
母親にどうせ死ぬんだから産んでくれなければよかったと罵倒したこともあった。
り、
おばあちゃんを敵視していたせいでおばあちゃんにひどいことを相当言っていたはずだ。
し、
お母さんにかんしゃくを起こして階段から突き落としかけたこともあった。
たぶん、思い出せないようなことをたくさんしていたと思う。
 
おばあちゃんは今そんな過去のこと一切を覚えていないかもしれない。
私のこともそろそろ忘れてきているみたいだし。それでも死ぬ前に謝罪しておかなければいけない気がする。
なんか卑怯なんだけど。
あの頃の自分に会えたら、自分が何やってるのか叱って教えてやりたい。
おばあちゃんしか叱ってくれる大人がいなかったせいで、おばあちゃんを敵視してしまっていたのかもしれない。両親は叱るような人ではなかったから。
もうバカな子すぎた。
今も相当短絡的で情緒的に動いては落ち込むことがあるけど、あの頃のひどさは異常。
私に対してそれがどういうことか必死で伝えようとしてくれていたと思う。あのてこの手を使って。文章にしたためてみたりとか。
それが私には分からなかったのだ。
ただもう反発するしか脳がなかった。
子供すぎたし、世界が狭すぎていて理解することができていなかったように思う。
多くの人と接することで外側から自分を見ることができてやっとなんだか自分の馬鹿さ加減が分かってくるもんなんですね。
 
母がもしかしたらと思ったらそういうことを考えてしまった。
 
もしかしたら、戻らない日々に忘れられない傷を作らなければいけないということもあるかもしれない。
その傷があるからこそ、強くつながっていられるのかもしれない。
そういう今より更に馬鹿だった頃の自分があるからこそ、今の自分なわけですし。
 
もし傷が一生ものなら、むしろその傷だけでも覚えていてくれまいかと願ってしまうんだけど。そんな記憶だけが残ったら嫌じゃね。もっとあったかい気持ちいい記憶が残ってくれたらいい。
 
明日も仕事。
 
アルツハイマーの人を見ていると、今現在が楽しいと思えていないと駄目なのだ。
明日の予定や、過去の記憶を頼りに元気出すってことができないのだ。
そう思うと、仕事中も少しでも楽しまなければいけないのではあるまいか。というか、楽しくない仕事を選んでいる時点で私は単なるアフォということか。
ならば転職すればいいんだけど、次にいい仕事に就けるかどうか分からない不安から動けないでいる。
そして親の病気をきっかけに転職を考えようとした。卑怯だ。弱い。最悪だ。死にたい。
ものすごい泣いたのに、自分が分からんよ。最低だよ。私が嫌すぎる。きちゃない。
そうと決まったわけではないし、絶対なってほしくない!それなのに。バカだ。消えたい。どうなってんの私の頭。私の方こそ脳みそになんか疾患あるんじゃないの。人格障害みたいだ。糞だ。うんこだ。私なんか臍でも噛んで死んじゃえばいいんだわ。まじで。誰か私を殴ってくれ・・殴って・・
私はいつまで親を見れるだろう。
おばあちゃんにあと何回優しくできるだろう。
私はどんな形で死ぬんだろう。