べそべそ

親の衰えと自分の成長が比例してない。
私はまだまだお子様です。
今親がいなくなったと考えると不安で悲しくてしんどくなってきた。
この先もずっとこのままだとしたら、
親はアルツハイマーになって
自分はガンになる
どうしたらいいか分からなくて
何もできない役立たずで親類から後ろ指指される。
きっと会社もクビになっていて
人間関係も、お金も無くなって
少ない友人も連絡を取らなくなっている
それで、一人でとりあえず家の中で呆けて過ごすが
ある日ふと我に返って昔を思い出して
なんて最低な人生だったんだろうかと涙を流し
余裕があれば自殺して
そんな気力もなければそのまま無気力に死んでいくかもしれない。
将来に絶望しかない。
楽しいこと、満足できること、自信が無くすべてが虚しいというのに何をして生きればいいのだろう。
何かを始めようにも、虚しさと絶望で手につかない。
不安だ。
宗教も薬もこんな気持ちを抑えるために必要なものかもしれない。
多くの人間は私と同じように弱いものだと思うから。
 
だけどせめてどうにか親が死ぬまでは自分はちゃんと親を看取って子供の役目を果たして死ねたらと思う。
そうか。
それでいいのかな。
生まれてきた理由をこじつけるなら、親を看取るためだったと決めてしまえば
親が死んだ後私はスッキリ死ねるかな。
それでいいかな。
だから実家の隣のお兄さんは、親が死んで
自殺したのか。
すっきりさっぱり、自殺したのか。
 
時々思う。年取って家族も誰もいなくなって誰にも看取られずに一人で孤独死するぐらいなら、若いうちに惜しまれて死んだほうがマシなんじゃないのかと。
誰かが死ぬより一番先に死にたい。
小学生の頃、誰よりも先に死んでしまおうと思っていたけど、
結局私はまだ生きている。おかしいな。忘れてしまうからかな。
 
今まで数え切れない数の人間が死んできたというのに。
今更家族や自分の死を恐れるのはおかしいように思える。
でもやっぱり怖い。
老い衰えてゆくのを見るのも、自分がそうなるのも、病気も怖い。
 
こうやって毎日死のことばかりを考えていれば
死ぬとき少しは楽でいられるかなあ。
 
自分が死ぬときを考えるとほっとするのに
死するよりも、親やモモの死という絶望的な喪失感や孤独感の方が実際怖い。
毎日その日が来ることの不安に襲われて泣きたくなるから紛らわすために酒をかっくらう。
だけど今日は酒を飲む気分じゃなかったせいで、こんないらん考え事ばっかりしてしまう。
酒を飲んだ時もよく泣くけど、素面でこういうことを考えているときのはもっと澱んで蓄積されていく感じがする。