テレビがとても邪魔

一人なので、ついつい常にテレビをつけてしまっているけれども、テレビをつけてボーっとしているとそのまま人生が終わってしまいそうになる。
有害だ。何もできなくさせてくれる。
だからといってテレビ消して本を読んでいるといつの間にか眠ってしまっている。
だけど、やっぱりテレビは有害。
昨日みたいに音楽聴きながら本を読むのはとても有意義だった。
テレビつけてなかったら普段やらないと。と思うことが進められる。
雑音と雑動画に占拠されて私の人生終わらせないように気をつけないといけないなあ。
案外アナログ放送が終わってテレビが見られなくなったほうが、いい生活を送ることができるかもしれない。
ラジオでもいいんじゃないかと少し思う。
ただしラジオは入りにくい。車のラジオも入りにくい。
中高生の頃に使っていたふるいラジオは短波も入って高性能だったけど、どうもあのラジオ以降いいラジオに出会えない。
ああもう、懐かしいなあ。あの部屋であのラジオ聞きながら机に臥せって寝たり、落書きしたり、親のパソコンでマインスイーパーしていたり、・・・
うわああああああああああ。死にたくなってきた。
とにかく映像が邪魔だ。
そういえば私の生活にテレビってあんまりなかった気がする。
無いならないほうが、シンプルで疲れない。
それがいいとずっと分かっていたのに、ダメだった。
 
きっと今は気づいていてもすぐに忘れてしまうだろう。
デジタルも見れるようにマスプロを買うだろう。
 
理由は暇だったり、不安だったり、孤独だったりするわけなんだけど。
そんな感情がなくなってくれれば、きっともっと人生は楽しい。
死に向かって、生きるのみ。
生きるために生きるだけ。
 
不要なのは自分自身なのかもしれないけど。
孤独で、劣っていて、内側へばかり閉じこもっていく。
そのくせキレイなものが好きな神経質なのに、他人を見下したい。
上にいたい汚い大人です。

私もクサナギたちのようにキレイでいられたらよかった。
どんどん回りに迷惑をかけて、泥みたいな汚いものが年をとるたびに増えていくような気がする。
無駄なものも増えて、それを覆い隠すようにテレビをつけて、酒を飲んで、猫を飼って、時々ドライブに行って、孤独感を嘘だと思いこもうとする。
 
もし死ぬのが怖くなくなって、人生を終わらせるスイッチがあるとしたら、今すぐにでもモモのスイッチを切って、私のスイッチも切るだろう。
家族のスイッチを切って、私もスイッチを切るのかも。
もし皆で今から幸せに眠りましょうといわれたら、皆で一緒に死ねるなら、それほど幸せなものはないような気がしてしまう。
本当はきっと、好きな人に抱かれて死ぬのが一番だろうと思う。
それならもうムリだと分かっているから、今死にたい。
今なら人生が終わっていいと思った時に死にたい。
社会に縛られていても、死ぬときは自由でしょ。
 
まだ死なないけどね。
必ず死ぬんだから。
 
できれば死の瞬間がとても幸せであればいいな。
 
やたら滅多ら卑屈になって回りに愚痴って迷惑をかけてしまうので、死ぬより今は薬が欲しいです。
幸せ気分になれる薬。
人が多いと惨めになったり、卑屈になったり、いろいろ大変じゃないですか。
私はダメ人間だし、弱いので、薬欲しい。
愉快になれるもの。
お酒でもいいけど、お酒は眠たくなるからダメだ。
そういう薬を覚せい剤と言うのですかね。ダメじゃん。
副作用の無い幸せ薬があるのなら欲しい。
 
よくわからんけど麻は麻薬なんですね。
麻って服とかに使われるけど、麻薬なんですね。
  
 
なんだかもう十分生きたような気がするんです。気がするだけだけど。
片親を見送ったからかもしれないです。
母親が死んだら即死んでも満足できると思います。
だけど、母はきっと長生きする。
あれはもう、絶対私より先まで生きていると思うんです。
だから私は自分にある生をまっとうするしかないのかもしれません。
たぶん。けどこの想像は結構幸せな妄想だから、そう思っておこうと思います。